ネオナチの群衆心理

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ネオナチの群衆心理

自分が上位に立ったつもりの群衆は、少数のセレブに対し、暴力的に振る舞うようになる。

有名人(セレブ)になるには相応な功績が必要であるが、その功績を陰から奪って自分が似非セレブになろうと「近道」を「皆で」歩もうとするらしい。

それがネオナチである。

有名になれば、全てがバラ色に染まると思っているのだろう。

それこそ貧乏人思想であるが、こぞってテレビに出ようとする。

かといって、民衆受けするかどうかもわからないが芸術家になる険しい道を独力で歩む心意気を持ち併さず、芸術家から作品を奪ってコピーし、楽に似非芸術家に為ろうとするのだ。

結局、似非なのですぐにバレるはずだが、一向に介しない。ほとんど無教養な子どもである。

少なくとも、まともな大人は彼らを相手にしない。

そこで、ネオナチに狙われてきた私は、作品をたくさん発表しているが、ファンはついていないようだ。私の作品が駄作なのか、作品を理解し愛する人に恵まれていないだけなのか、謎だ。

アジアで理解されないだけなのか、それとも西洋人も理解できない作品なのか。

全くもってわからない。

私の作品に価値がないのならば、作り続ける必要はない。さすがに5年も経てば、無価値なのだろうとファンのいない現状と人々(アジア人)からの無言のメッセージを受け取っている。

西洋でも価値がないのか、それが知りたいが、英語に翻訳する力も金もない。

少なくとも、アジアでは私の作品たちは無価値なのだろう。無料で使い回されるだけの、価値の無い作品なら、芸術家として活動はできない。

私という芸術家は必要ないというメッセージを、とても残念に思っている。

アジア人である誇りは、木っ端微塵だ。漢字を勉強し、中国語も日本語も台湾語もそれらの文化も勉強して来て大学でも専攻しているというのに、私は漢字文化人として民衆の必要とする作品を作れなかったということだからだ。私の個人的な失敗なのか、漢字文化圏の問題が深刻なのか、私一人では判断できない。

5年の奮闘の末、長文創作は既に気力が失せ、最近では詩や俳句等、短い文しか書いていない。

しかもストレス発散の様な作品ばかりだ。

私を殺そうと今も攻撃している連中に、話す事も既に書き尽くしそうだが、私に対する暴力は、私の芸術作品にも影響を与え、子どもだった頃と違う私の反応が気にくわなくて怒っているようだが意味は更に減り、「大人の私をどうすることもできなくて地団駄を踏む武器を持つ赤ん坊」の世話をするつもりは毛頭ない。

 

望玄MiharuT-.-KTogoKana日月緋baobabbaby千波らんらんにゃんピヨ6月日本生まれ日本語中国語台湾語堪能者42歳独身♀  筆。